愛称 「麦わら帽子」、「トンボ取り」などと、今でも言われることがあります。

平成2年、所属するサラリーマン新党も事実上解体過程にあり、その公認も得ず、衆議院選に無所属で立候補する。
土井党首のもと、社会党はマドンナブームで大躍進。この東京11区では2名当選。大政党の中で激しい選挙戦が
展開される中、全部で十数名の候補者が乱立。無所属候補ではトップであったが、選挙としては惨敗。国政の、組
織の強さをいやと言うほど体験する。しかし、そうしたものにあくまで屈したくないという考えが、市議選に転身させた。
その後の、進歩党公認で立候補した市議選もあえなく敗退。完膚なきまで失墜するが、その年のうちには、またもや
立ち上がり、活動再開する。その後、その進歩党も解体する。世田谷区の阿部俊之 元都議会議員の事務所で、お
世話になり、捲土重来を期す。その縁で、渋谷守生都議(当時)や数人の有志の計らいで自民党籍になる。青年部
の活動を開始するが、過去の経歴も災いし、内部でなかなか認知を得られなかった。幸い(?)、総選挙があり、自民
党が国政で敗北し、野党に転落する。その結果、平成6年の町田市議選で公認で立候補する候補者が激減。吉田
の公認問題はなんなく認知される。選挙では、公認組みの多くが得票を激減させる。そうした中で、平成6年2月に
市議選が実施され、吉田つとむは当選に至りました。(その順位は、40名の当選中で33位というポジションでした。