● (続き)阪神大震災被災者が、被災5年目して行った新たな要請行動に同行
◎ 被災者に同行したことと、神戸を訪れた記事。
平成12年1月11日、阪神大震災の被災者である、「そして神戸」(代表 上野泰昭氏)の関係者である4名の皆さんが、前日の深夜バスに乗って上京し、総理官邸への要請を行いました。前回の記事は、上野さんの要請文を中心に記述しましたので、今回は、「被災者二人の会」要請文の文面紹介から、スタートします。
次に最近訪れた、神戸市長田の状況についての印象を記載します。
◎ この記事の見出し
(以下の1−4までは、前回の1月分に掲載)
1 被災者団体「そして神戸」が、被災5年目にして、総理に要望
2 要請文の内容は、「命を守る」−自殺者を増やさない施策
3 要請文書に添付された、遺書の束
4 たった、女性二人が行った要請
(以下、今回の掲載記事)
4 たった、女性二人が行った要請の続き
(「被災者二人の会」要請文添付)
5 現地を訪れて、裏通りを歩く
6 阪神大震災の復興対策は、国としては終わりとするのか?
7 そして神戸の要請は、どのように生きていくのか
4 たった、女性二人が行った要請の続き
(「被災者二人の会」要請文添付)
内閣総理大臣 小渕恵三様
自由党々主 小沢一郎様
公明党代表 神埼武法様
阪神淡路大震災
被災者二人の会
赤浦光子
桑原愛子
阪神、淡路大震災による
被災者生活支援に関するお願いのこと
拝啓、貴方様方にはますますご清祥ご活躍のこと心よりお慶び申し上げます。
さて、ご多忙中突然不躾ながらこの様な書面お届けすることを、お許し下さいませ。
私共は真に私共の話を聞き、対処して下さる方々と信じ心よりお願い申し上げるものでございます。震災後5周年を迎えて、一向に景気が回復せず市民の暮らしは年々困難を極めるようになり、この苦しい現状をお知らせすると共に、この機会に是非共のご支援を賜ります様、真に心よりお願い申し上げる次第でございます。
今追、諸団体の請願も度々行われたと聞き及びますが、全く何の手ごたえもなく
意志の伝わらないのが、残念でなりません。
人々は「いくら言っても駄目だ」と諦めの状態で、でも誰かが言われなければの想いから、私共はお願いに及びました。
被災地は一見美しいビル、マンションがモダンな姿で立ち並び外から見る限り神戸は立直ったかに見えます。
然しながら、そこに住んで居る人々の生活は悲惨なものがあります。
震災被災後も全く収入の変らない諸官庁官吏の方や、大会社勤務の方々を除き、平成7年震災の年は殆ど仕事はなく、無収入の上に、修理費、引越等お金はどんどん失われていきました。でもまだ頑張ろうと少しは希望もありました。ところが家や店舗の為に多額の借金をしたものの全国的な不景気の上に震災によるものが加担し、全く機能を失いつつあり、特に昨年、平成11年の末には、「年を越せない」「年を越し難い」の言葉に、私自身も本当につらいものを感じました。
被災地では被災直後より人々の生活は一変いたしました。それは想像に絶するものがあります。勤め先が潰れ失業された方、リストラされた方、自営業を廃業された方、入院された方、働き手を失われた方、その理由はいろいろですが自助努力したくとも金銭面の事、住居の事、又年令の事等で仲々旧に服する事はできません。
アンケートを取って皆さんの声を直接きき、思っているより、かなり悪い事態を実感いたしました。
被災地では「財団法人阪神淡路大震災復興基金」なる窓口があり、いろんな支援の種類が数多くあります。その多くは、住居に関するものが多く目立ちます。事業に関するものは、これまでに借入れられた金額の利子の補助がほとんどで、新しく借入れるのは非常に難かしく、又多くの人がバブル崩壊時の傷口をもっていて利用出来ないのが実情です。
私共は支援金には条件をつけてはいけないのが本当の支援だと思います。
今被災地では、もう貸して頂いても返済能力はありません。
金融業者や又、公共料金の請求電話、又集金人におびえながら、又喧嘩腰にもなっています。是非現金支給による助成をお願いいたします。
希望として、 全壊 500万円−100万円(支給済)=400万円
半壊 300万円一部損壊100万円 が妥当だと思います。
震災直後に支援金として頂いておれば1兆円程度で済んだと思いますが、今では3兆円位なければ被災者は救えないと思います。
当地では平成12年1月17日を以って震災の事は一応これで打切りとの話も噂されて居りますが、私共はこのドン底にあって、これからが本当の震災後の苦るしみを実感する時期にあり、打切りとはもっての外です。
一日も早い復興の為一日も早い支援の手を差し延べて下さいます様切にお願い申上げます。
これが実現となれば被災者は復興の為に頑張り生甲斐を感じるでしょう。それがひいては国の政治を信頼しお互いに国の為め、人の為を考えることのできる人を生み出せることと確信いたします。
真剣にお取上げ下さり対処下さいます様心よりお願い申し上げます。
以上
5 現地を訪れて、裏通りを歩く
震災後5年を経た平成12年1月17日のテレビで見ると、あるテレビでは新しい建物に立ち替わった「長田」を映しますし、別のテレビでは杭に囲まれた「長田」を映し出していました。私が見るところ、どちらも現実です。
平成11年12月18日、神戸市の「長田」を訪ねて歩きました。新長田駅に降り立ち、西に向かって鷹取駅まで歩きました。たしか、この途中には、大きく傾いた真新しいビルがあったはずですが、見あたりません。そのビルは、修復されて元の角度に戻り、まっすぐなビルになったのか、あるいは解体されてしまったのか、5年前の光景とはどの地点を見渡しても違うため、資料で調べるしかないでしょう。
若松町を歩きました。震災後に訪れたときは、一面焼け野原の印象を受けた地区でした。(長田にある)県立体育館の避難所で本部長を務められた新井さんの自宅は消失し、お隣の方が亡くなられたのですが、その位置もただ歩いているだけでは、判りませんでした。なぜならば、その付近は長田地区でも特に住宅が密集する地域で道路幅が極端に狭く、そのためか新築の建物が建っていませんでした。今回は、神戸に来訪をしたことをご連絡しませんでしたが、私の手元の住所録からは、震災復興住宅にお住まいになっているのではないかと推測しています。
長田の商店街にたどり着きました。震災後、いち早く営業を再開した商店街ですが、聞くところに寄ると、再開した店を人手に渡した人、店をしまって人、二重に苦労を重ねた人もたくさん出たようです。いずれにしても、子の街が元の繁栄を示すことは容易なことではありません。まだまだ、この地区では昔の人口に戻っていないと聞きました。
不況続きで、日本中のあちこちの商店街が弱っているのはもちろんですが、神戸の復興はこれで良かったのかと、言う問いは誰しも起きています。復興対策本部の関係者でも、これで良かったと言い切る人はおらず、これしか無かったと言う声にかき消されてしまっています。
6 阪神大震災の復興対策は、国としては終わりとするのか?
総理府阪神・淡路復興対策本部がなくなることになっていました。国に本部を置くのは5年間の措置でしたが、今後、国で対応する機関はどうなるのか、一切なくなってしまうのか。国に要請を行った人たちの思いは共通で、この疑問を対策本部事務局の皆さんに尋ねました。
即答はありませんでした。救いであったのは、対応レベルは変わってもなにか、震災関係で国の機関の連絡機能が継続する印象を皆さんは、受けとめました。
「そして神戸」の上野泰昭氏が、日比谷公園で座り込みを開始して以来の付き合いをされている、田中甲衆議院議員の継続的な支援活動が活かされていると感じました。田中甲議員は、その日も大半を上野泰昭氏らと行動を共にされました。
7 そして神戸の要請は、どのように生きていくのか
この4人の人たちは、神戸−東京簡の旅費をどのようにして調達しているのでしょうか。今までの被災者の皆さんとのお付き合いで、みなさんの苦労が伺えました。四名は、今回の上京でも、深夜バスを利用されていました。少しでも費用を安くするため、上野さんの場合は、神戸−東京簡をいつも深夜バスで移動しています。たしか、神戸−東京簡は8,000円くらいだったのではないでしょうか。さらに、上野さんは新幹線を利用する時は、時間を見て、割引ショップで格安チケットを手配されての乗車をされているようです。
現地に訪れると、神戸空港の建設が復興につながるという考えもあり、市長や議員の多くはその考えで突き進んでいくようです。友人の議員の一人の話では、「空港開設に伴う企業の進出話もあり、この話が進まずして、神戸の復興は無いと言うことです」
地元に仕事を生み出す、あるいは仕事を創り出すと言っても、ひとそれぞれの考えがあります。上に書いた様に、政治はすでに「神戸空港」に向けて全力で突き進んでいます。5年を経過して震災復興は終了したと言うのが、市長の基本的な考えではないでしょうか。
一方で、そして神戸の上野泰昭氏は、「仕事、消費、納税をしたい」「人間としての責務を果たしたい」「国を支えたい」 今は亡き国民と、名もなき国民からの訴えを続けていました。
そのために、生命保険金掛け金の払い込み中止期間の延長を、厳寒の日比谷公園で座り込むことで訴え続けました。
今回は、その請願 とし、
@債務を抱える国民、消費を控える国民に対し、「債務の金利は支払う事」を条件に
不良債権を防ぎ、元金返済の長期(3年、5年、10年単位)棚上げ制度の創設の早期実乳。
A国民が抱える債務の「棚上げ」「再編」を審査、そして保証する公的機関(棚上げ
保証協会)の設立。
を訴えにこられました。
しかし、国や兵庫県・神戸市の政治関係者は、「皆さんにそんな努力(税金を納めたい、納められるような仕事をしたい)をしてもらわなくとも結構です。経済の発展や、街の復興は私たちの仕事なのですよ。あなた達は、へたなことを考えるより、静かに政治のお世話わになっていなさい。そうして、政治に感謝して生きて行きなさい」と言いたいのではないでしょうか。この5年間、被災者の上野さん達とおつきあいをしてきまし、様々の場面に立ち会いました。側にいて感じたことですが、行政の関係者が今にも言いそうな言葉が上の文言です。
非力な自分では、その現状をどのように転換させられるのか、すこしでも変える役割をなせるのか、明らかにし得ないままに、震災5年の日、平成12年1月17日を過ごしてしまいました。
( (12/02/15) f31202151 (続き)阪神大震災被災者が、被災5年目して行った新たな要請行動に同行の記事は、この行で終わります)